娘。はじめました

ハロプロ・JUMP中心に思うことあれこれ。

出戻りジャニオタの小さな決意文

Hey!Say!JUMPにハマってます。
年末から年明けにかけてハロプロが静かだったからでしょうか。横目で見てるだけのはずがDVDまで買い求めました。
ハロプロが活性化してきた今、目が一組しかないのが悔やまれます。

ジャンプちゃんの(と呼び方がすでに後戻りできない感じ)何にそんなハマってしまったのか。
特定のだれかに恋をしたというよりは箱推しなんですが、ハロプロにハマってたときとは違う、でもどこか似ている、この違いについては改めて考えてみるとして。

ここで私のジャニオタ暦をたどりますと、中学時代に遡ります。
いわゆるジュニア黄金期と呼ばれるあの時代です。
山Pと同い年だった私はMUSICJUMP(のちに少年倶楽部)や8時だJを録画して繰り返し見たり、MYOJOやwinkupを買い漁っては
スクラップする日々を送っていました。

(余談ですが、「学校へ行こう!」時代もガチ中学生であったため、あの番組は同世代あるあるトークの定番の一つです)
(さらに余談ですが、ごっちんとも同い年ですので、娘のデビューもリアルタイムです。が、ちょっとこじらせた中学生であった私はどっちかと言うと太シスが好きでした。このへんの話はまた改めてしたい)



タキツバがいて、嵐がいて、やまとまカザポンがいて、関ジャニが追い上げてくる、そんな時代でした。

今のジュニア事情を知らないので今もそうかわかんないんですけど、あんな若い子たちだけで、ちゃんと番組が成立していたことって凄いことだと思うんです。
歌の披露はもちろんあったんだけど、むしろ「ジュニア裁判」とか一芸披露のコーナーが楽しくて。
斗真とか相葉ちゃんとか有名メンバーが活躍する以外に、まだ入ったばっかの子がフューチャーされる貴重なコーナーでした。今はえびとして活躍する塚ちゃんとか、五関くんとか、ふぉ〜ゆ〜の辰巳くんとか、こういうコーナーで覚えたものです。
今思うとあれはタッキーが偉大だったな。必ず後輩をいじっていた。たまに関ジャニとかからいじられてた。こいつら仲良いな、と思ったものです。



当時誰を推していたか、という話ですが。
好きだった子は、早々にジュニアをやめてしまいました。
名前を言って覚えている人はきっと少ないでしょう。マイクを持つ回数も少なく、話をふられることもなく。雑誌の小さなインタビューは切り抜いてスクラップしていましたが、クリアファイルを埋めるには至りませんでした。

いつの間にか増えてはいなくなり、それでもトップグループは燦然と輝き続ける、そんな時代でした。
小原君の卒業も覚えています。当時タッキーを超える人がいたとしたら小原君だったので、びっくりした。
嵐はデビューしたとは言え、番組を卒業したわけではなく、むしろ一ユニットみたいな扱いで、変わらない光景が続いていたように思います。

やがて8Jが終わり、MUSICJUMPは少年倶楽部になり、私は高校生になりました。
何が原因、と言えば多分それなんですけど、通学に一時間半かかるようになった私はテレビを見なくなりました。テレビを見なくなると雑誌に載る新しい子たちを覚えられなくなり、雑誌を買うのもやめました。
結果的に、私はジャニオタを卒業したわけです。
これが、私のジャニオタ暦の全てです。三年ちょい、現場に行ったこともない、きっとごく普通以下の歴史です。


以来ずっと、ジャニオタにはなりませんでした。
いや、去年一回テゴマスの歌に惹かれて落ちそうにはなったんですが、持ちこたえちゃったんですよね。

横目でずっと見てはいたんです。
山Pのデビューも、小さかった亀梨君がイカつくなったのも、関ジャニの活躍も、斗真の奮闘も、カザポンの変わらなさも、ずっと横目で見てたんです。あの時代がどう続いていくのか、見届けたくて。
だからきっと嵐にもタキツバにもNEWSにもKAT-TUNにも関ジャニにもハマらなかったのかもしれない。



そしてこのタイミングで、JUMPです。
ちょうど私がジャニオタを辞めたころに台頭してきたのがya-ya-yahです。CDデビューしたのは知ってたけど、メンバーまでは知らなかった。
ということは、JUMPは私の「あの頃」に、何ら重ならないグループなのです。


JUMPちゃんを見ていると、中学生のときの自分に戻った気がします。
ようこそ、ジャニーズの世界へ。
お帰り、あの青春の日々。
輪廻転生ってこういうことかなあと思いつつ、ジャニオタとしての小さな一歩を踏み出します。